小倉山の山荘で編纂された「小倉百人一首」

一般的には、かるたでおなじみの「小倉百人一首」。昔、学校で習った、暗記した(させられた?)という人も多いのでは。

『古今和歌集』『新古今和歌集』など、天皇の命により編纂された歌集から、100人の歌人の歌を1人1首ずつ選んだもので、その成立はおよそ800年前。歌人・藤原定家が、小倉山の山荘で編纂したといわれています。定家自身の歌もしっかり入っているのは、自信の表れでしょうか。

小倉山で編まれたから「小倉百人一首」と呼ばれるのですが、さて、その小倉山はどこにあるかごぞんじですか。

実は、嵯峨にあるのです。この連載では嵯峨嵐山界隈をよく取り上げていますが、平安時代や紫式部に関連した場所や行事がそれだけ残っているということでしょう。平安貴族に愛されたこの地の魅力を、あらためて感じます。

ざっくり説明すると、渡月橋のかかる大堰川(桂川)をはさんで、南側にあるのが嵐山、北側にあるのが小倉山。こんもりした形の低い山で、眺めていると穏やかでやさしい気持ちになります。そんな雰囲気が、平安文化の風雅に合っていたのでしょうか。

常寂光寺の境内をはじめ、小倉山のふもとには、定家の山荘の跡地と伝わる場所が数か所あります。真偽のほどはわかりませんが、どこも「いかにも……」と思わせる風情を漂わせています。

渡月橋付近の夕景
渡月橋付近の夕景。向かって右側に見える低い山が小倉山