ああ、だから、百合川は編集部を初音町に置いて、この店にあたしを連れてきてくれたんだ、とハルは気がついた。

 百合川が、小瓶をあおってなかの液体をぐいっとのむと、ウィスキーの香ばしいにおいがした。そのにおいにハルは、兄の順平に早稲田(わせだ)近くの隠れ家のようなバーにはじめて連れていってもらったときのことを思いだす。そして、銀座で入り浸ったバーあかつきの懐かしい女たちや男たちのことも。ウィスキーというのはどうしてこうも心を遠くに旅させるんだろう――。

 ハルが物欲しそうな目で見ているのに気づいたのか、百合川は小瓶の口をハンカチでさっとぬぐって、洋酒は好きだろう? とハルにさしだした。

 百合川の勘のよさに驚きながら、ハルは小瓶を受けとる。ややためらいながらも小瓶の口からウィスキーをのむと、強いアルコールが喉を焼く感触が懐かしかった。

「どうして、あたしにその話をしてくれたんですか?」

 百合川は、どうしてだろうな、とひとりごとのようにつぶやく。

 しばらくしてから、白状するよ、ハルの記事さ、とぽつりといった。

「きみが媳婦仔の少女の記事を書くと玉蘭からきいたとき、すまないがあまり期待していなかった。わたしたちの文化や習俗の問題をいわば部外者であるきみに上から指摘されるなんてごめんだとも思ったさ。でも、記事を読んでいたら気持ちが揺さぶられたよ。きみのシャオリンに向ける感情が憐憫ではなく、きみ自身の経験に根ざした共感だったということもあるが、なによりも、わたしが幼い日に叔父の家で感じた、どうしようもないさみしさを思いだしたんだ。あれから二十年以上もすぎているのに、どうしてわたしたちの社会の女性は、売られたり、学校に通えなかったり、虐待されたりしているんだろう――。女学生になって、留学して、内地で就職して、というエリート女性の道をたどるなかで、あの日さみしくて泣き続けていた少女がわたしだったってことを、すっかり忘れ去っていたよ。たぶん、きみのなかにも、必死に教科書を読み続けるシャオリンのような少女が住んでいて、それがあの記事を書かせたんだろう?」