技術革新の先陣を切った「メルシャン」

中心的役割を果たしたのは、大日本山梨葡萄酒会社を源流とするメルシャンであった。

メルシャンは山梨大学とともに、1975年(昭和50年)から甲州ワインの品質向上に取り組み、フレッシュな果実味を生かした甘口ワイン「勝沼ブラン・ド・ブラン」を造ることに成功する。

『日本の果物はすごい-戦国から現代、世を動かした魅惑の味わい』(著:竹下大学/中央公論新社)

しかしこの時点では、いまのような辛口の甲州ワインはまだ誰一人として造ることができなかった。

四重苦の「甲州」で辛口の優れたワインを造るのには、甘口の優れたワインを造る10倍の困難を伴ったと関係者は語る。

なぜなら個性のない「甲州」だけを使って仕込む限り、おいしい白ワインなど実現不可能だというのが、ワイン醸造家の常識だったからだ。

この常識を覆すべく、さらなる技術革新の先陣を切ったのはまたしてもメルシャンであった。

1975年といえば、日本で辛口ワイン(果実酒)の消費量が甘口ワイン(甘味果実酒)を抜いた年である。この社会変化もメルシャンの醸造家の背中を押したはずだ。