何よりつらかったのは、同級生と自分とをどうしても比べてしまうことです。
当時は、父親と一緒でなければ参加しづらい活動が多く、父のいない僕はアメリカンフットボール部やボーイスカウトには入りませんでした。道具を買うお金もありませんでしたしね。
また、家計を支えるために10歳から始めた新聞配達のアルバイトが、僕の時間を奪いました。配達は365日。2泊3日のスキー旅行のお誘いなどは、断るか、1日目で帰らないといけないのです。
友人たちとお泊まり会をした時は、みんながまだ寝ている早朝に抜け出し、新聞配達を済ませてから再度合流していました。悔しさのあまり、「クソッ! 新聞配達なんか大嫌いだ!」と叫びながら自転車をこいだものです。
でも、この気持ちを母にぶつけたことは一度もありません。なぜなら母のほうが何倍も大変で、つらい思いをしていたはずだから。毎日同じスカートをはいて、休みなく働いて――。
夜中のキッチンで小切手帳の残高を見ながら泣いていた母の後ろ姿は、今でもはっきり覚えています。