10歳から新聞配達に奔走

僕は1970年にアメリカのモンタナ州で生まれましたが、空軍勤務の父の転勤によりコロラド州にたどりつきました。姉と家族4人、安定した生活を送っていたところ、7歳の時に両親が別居し離婚。僕と母、姉の3人暮らしになりました。

その後、母が折あしくリストラに遭い、不安定な生活に。父からの養育費で、この頃は生活に窮するようなことはなかったのですが、僕が11歳の時、姉が父に引き取られ、養育費の支払いが止められてしまったのです。

そこからの生活は常にギリギリでした。テレビは人からのお古をもらって、壊れたらまた誰かがくれるのを待つ。牛乳は高くて買えないので脱脂粉乳。肉はパサパサした七面鳥のひき肉がメインで、たまに買えるチキンがご馳走でした。

学校では、空腹のあまり体調を崩したことも。そんな時、保健室の先生がくれた牛乳とクッキーがどんなにありがたかったか! 食べたとたんに頭痛が吹き飛んだことを覚えています。

アメリカは経済格差が激しい国なので、僕のような生徒がほかにもいたのでしょう。おそらくあの時の牛乳とクッキーは、先生がポケットマネーで用意してくれたものだと思います。