最期まで負担をかけない親で
最近、よく母のことを思い出します。父の死後、建築関係の事業を引き継いだ母は、私が50歳のときに亡くなるまで資金繰りに頭を悩ませていました。
「会社をたたんでおけば、こんなに苦労しなくて済んだのに」と歯がゆく思う私の気持ちを察してか、「お金は棺に入れても燃えてなくなるだけ。それやったらお父さんと一緒に作った会社にとことん使いたいねん。後悔してへんから」と病床できっぱり言い切ったすがすがしい笑顔が忘れられません。わが母ながら、潔くて見事な人生でした。
そんな母のもう一つの口癖が、「お金がないなら、ないなりの暮らしをすればいい」。確かに裕福なときも、そうでないときも、友人や親戚と楽しく交流していた母。その姿を覚えているせいか、私も夫の病気で収入が激減しても、あまり不安になったり落ち込んだりせずに済んだのかもしれません。
私自身、70歳まで働いて余生を楽しむという人生設計は崩れましたが、ユーチューブという新しい世界に挑戦したことで多くの人々と出会い、本を出版するという幸運にも恵まれました。どれも、あのまま働き続けていたら手に入らなかった、お金では買えない宝物ばかりです。
先日、こんなことがありました。長男が折り入って話をしたいと言うので何ごとかと思ったら、「もしものときが心配だから、近くに越して来たらどう?」と。気持ちはうれしかったけれど、私たちは今の暮らしに満足しています。
彼らの親を思う気持ちに感謝しながら、最期まで負担をかけない親でいたいと改めて強く思いました。子どもたちには、「いざとなったら、この家を処分して施設の入居費用や介護サービスにあててほしい」と伝えています。
これからもちょっとした工夫を楽しんだり、柔軟に考え方を変えたりして、日々の一瞬一瞬を、慈しんでいきたいですね。