「平等」と「公平」は違う
「合理的配慮」は難しい話ですが、その人の事情によって工夫するのは、何も病気がある人に限った話ではありません。
たとえば、身長が低い人であれば、高いところにあるものを取るときには台を使います。目が悪い人は眼鏡をかけます。
これはみんなより優遇されたいというわけではなく、何かしらハンデを抱える人たちが“みんなと同じスタート地点に立てる”ように必要な行為だと思います。
仮に“平等”に、病気のない人が僕と同じような配慮を受けたとしたら、その「差」は埋まりません。
しかし、生まれている差の分を埋めることによって、“公平”な状態をめざすのが合理的配慮だといえます。
僕は周囲に恵まれていたので、周りの配慮によって公平な環境を維持し、自分の希望する道に行くことができました。いま思い返せば本当にラッキーだったと思います。