源氏が思い出した日々
源氏はその姿を見て、思わず涙をこぼしました。
藤壺の姪にあたる紫の上の容姿が、藤壺に似ていたからかもしれません。幼いころからともにすごした藤壺は源氏の最愛の女性でした。
しかしじつはそれ以上に、紫の上があらわした、何ものにも縛られない純粋な心こそが、源氏にとっての藤壺像の、本質だったからなのでしょう。
今は失われてしまった、藤壺と過ごした子ども時代の幸福な日々が、にわかに思い出されたのではないでしょうか。
紫の上の天真爛漫な無邪気さが、大人となって政界の一員となり、貴族社会の約束事にがんじがらめになって苦しむ、源氏の心を解き放ったのでした。
「籠」という世間の約束事を軽々と抜け出し、自由な山野へと飛んで行った雀とは、このときの紫の上自身だったといえるでしょう。
※本稿は、『美しい原文で読む-源氏物語の恋のことば100』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
『美しい原文で読む-源氏物語の恋のことば100』(著:松井健児/中央公論新社)
源氏物語の原文から、68人の人びとが語る100の言葉を厳選し解説。
多彩な登場人物や繊細な感情表現に触れ、物語の魅力に迫ります。