「東京音頭」フィーバー

日比谷公園で昭和7年8月15日から20日まで「丸の内音頭踊り」を開催し、18日にはラジオで全国に「丸の内音頭」が放送された。

これが盛況に終わったこともあり、昭和8年7月にビクターは「東京音頭」(作詞:西條八十、作曲:中山晋平、歌:小唄勝太郎、三島一声)と改題して発売した。

(写真提供:Photo AC)

東京市は昭和7年10月1日に5郡82町村を合併し、従来の15区から35区に拡大編成され、人口520万を有する世界第2位の都市となった。大東京にふさわしい新民謡が誕生した。

西條は「この音頭が揃い手拭、揃い浴衣ではじめて踊られたあの日比谷公園のすずしい月の夜を、わたしは永く忘れないであろう」「念願のひとつだった、生れの東京に盆踊をつくることは、この「東京音頭」でうれしく果された」と記している。

盆踊りの時期を過ぎても「東京音頭」の熱は冷めなかった。昭和8年10月8日の御会式では池上本門寺に向かう行列で団扇太鼓を使いながら「東京音頭」の大合唱が起こった。

10月21日の大学野球の早慶戦では、入場券を求める観覧客が徹夜で神宮球場に並んだが、客たちは「東京音頭」を歌って夜を明かしている。「東京音頭」は44万2200枚の大ヒットとなった。