(写真提供:Photo AC)
日本には、長きにわたって愛されてきた<昭和歌謡曲>が数多くあります。日本人は、なぜ昭和歌謡曲に魅了されるのでしょうか?日本近代史を専門とする日本大学商学部教授・刑部芳則さんの著書『昭和歌謡史-古賀政男、東海林太郎から、美空ひばり、中森明菜まで』から一部を抜粋し、当時の時代背景とともに懐かしの名曲を振り返ります。今回のテーマは「小唄勝太郎と『東京音頭』」です。

小唄の女王・小唄勝太郎の人気

芸者歌手のなかでも、小唄勝太郎の人気は高かった。それはレコードの売上げ枚数で10万枚以上(昭和40年代以降の約100万枚以上に相当)の曲が複数存在することが証明している。

小唄勝太郎は、明治37年(1904)11月6日に新潟県中蒲原郡沼垂町(現・新潟市中央区)に生まれ、昭和49年(1974)6月21日に逝去している。令和6年(2024)は、生誕120周年、没後50周年にあたる。

昭和4年(1929)から日本橋葭町で芸者として活躍していた。当初は葭町勝太郎と称していたが、すぐに小唄勝太郎と改称した。これは小唄を歌わせたら日本一という意味である。

昭和8年(1933)1月に発売された「島の娘」(作詞:長田幹彦、作曲:佐々木俊一)は、伊豆大島で椿油を搾取する娘の恋心を題材にしていたが、42万5300枚という驚異的なヒットとなった。

同年6月の「大島おけさ」(作詞:西條八十、作曲:中山晋平)は、勝太郎の郷里の民謡「佐渡おけさ」を伊豆大島向けに変えたものだが、18万7500枚のヒットを打ち出した。

さらに同年12月には「佐渡を想えば」(作詞:長田幹彦、作曲:佐々木俊一)で16万1500枚を売上げている。