不世出の映画スターにして至高のシンガー
2024年12月28日、不世出の映画スターにして至高のシンガー、石原裕次郎が生誕90年を迎えます。戦後11年、経済白書に「もはや戦後ではない」と書かれた1956(昭和31)年、石原裕次郎は彗星の如く映画界に登場しました。兄・石原慎太郎が「文学界」に発表したセンセーショナルな小説『太陽の季節』が新人賞を受賞、さらに芥川賞に輝きます。1954(昭和29)年に製作再開をしたばかりの日活撮影所では、その『太陽の季節』を映画化。プロデューサーの水の江滝子は、慎太郎の弟・裕次郎を主演にと考えますが、当時の映画界には「素人の学生なんて」という風潮があり、会社から却下されます。
しかし水の江滝子は、長身痩躯、人懐こい笑顔の好青年で、どこか不良性を秘めている裕次郎のルックスに惚れ込んで、映画『太陽の季節』(1956年・古川卓巳)に、「若者言葉の指南役」「髪型モデル」として採用、アルバイトながらアドバイザーとして裕次郎を現場に呼びました。
そのルックスはたちまち、古川卓巳監督の目に留まり、主演の長門裕之の友人のボクシング部の若者役で端役出演。ファインダーを覗いたベテランキャメラマン・伊佐山三郎が、フレームに収まりきれない裕次郎の姿に「阪妻がここにいる」と驚嘆したという伝説があります。阪妻とは戦前からの大スター、阪東妻三郎のこと。伊佐山三郎の慧眼の通り、裕次郎は『太陽の季節』制作中に主演デビューが決定します。それが、異才の新人監督・中平康のデビュー作『狂った果実』(1956年)でした。
湘南を舞台に、戦後派若者たちの無軌道な青春を描いた『太陽の季節』に続く、石原慎太郎原作作品でした。ここで裕次郎は、相手役に高校生の時から憧れていた女優・北原三枝を指名。主演デビュー作が、生涯の伴侶となる石原まき子夫人との出会いの作品となったのです。
そして裕次郎は『狂った果実』のなかで、ウクレレ片手に挿入歌『想い出』を甘く囁くような歌声で披露。この『想い出』と、石原慎太郎作詞による主題歌『狂った果実』がテイチクからリリースされ、歌手・石原裕次郎が誕生します。