「凶悪を通り越し猟奇的」
4人の遺体は県立富士見病院(現・県立総合病院)と国立静岡病院(現・静岡てんかん・神経医療センター)で司法解剖された。
藤雄さんは全身に3度の火傷を負っていたが、後頭部、胸部、肩などに15カ所に刺し傷や切り傷があり、死因は「失血死」。致命傷は心臓の12センチの刺し傷だった。
妻のちえ子さんは4度の火傷で、背中など13カ所を刺されて、死因は失血と火傷だった。
二女・扶示子さんは全身に3度から4度の火傷に加え、胸などに9カ所の刺し傷があり、心臓の傷による失血と一酸化炭素中毒が死因とされた。
長男の雅一郎さんは4度の火傷、首、胸、手など12カ所刺され、死因は肺からの出血などだった。明らかな殺人事件に清水署の沢口金次署長は「凶悪犯罪を通り越して猟奇的なものでさえある」とコメントした。
妻と二女、長男は就寝場所で死んでおり、家の中を動いたのは犯人と格闘したと思われる柔道2段の藤雄さんだけだった。
清水署に「横砂会社重役強殺放火事件特別捜査本部」の看板が据えられたが、犯人は杳(よう)としてわからない。
幕末から明治にかけて活躍した博徒で実業家の清水次郎長(本名・山本長五郎)で知られ、「三保の松原」などの美しい海岸が広がる港町に緊張が走った。