職場で知った惨劇
浜松市常盤町の「富士コーヒー」に勤めていたひで子さんは、昼休みにテレビのニュースで事件を知る。
「あれっ、清水のこがね味噌って、巖が勤めてる会社じゃないの。えっ、巖が『よくしてもらっている』って言ってた専務さんが殺されたなんて。巖は今、どうしてるんだろう」携帯電話などない時代。
「こがね味噌」の固定電話になんとか連絡すると、弟は「寮で寝てたら専務の家が火事になった。強盗だか何だかわからん」などと興奮気味に話した。
事件のあった週末も巖さんは、実家に預けている幼い息子に会うため、浜北市(現・浜松市浜北区)を訪れ、ひで子さんも実家に戻った。
父の庄一さんは当時中風(ちゅうぶ:脳卒中の後遺症)で寝たきりだった。 家族は巖さんが犯人だと思うはずもないが、怨恨としか思えない橋本一家の惨殺ぶりに、ひで子さんや母のともさんは、「巖が変なことに巻き込まれていなければいいけど」と心配はしていた。
それでも、巖さんが近所の人に、「寝てたら専務の家が火事になった。みんなで必死に消したけど、どうしようもなかった」などと話す普段と変わらない様子に安心した。
だがその後、巖さんが殺人、放火などの容疑で逮捕され、33歳のひで子さんの人生は一変する。