たまたま不在だった同室者
放火殺人事件の夜、袴田巖さんは「こがね味噌」工場2階の従業員寮で寝ていた。プロボクサーだった巖さんは引退後、清水市のキャバレー「太陽」で働いた後、独立してバー「暖流」を経営するがうまくゆかず、「こがね味噌」に住み込みで勤めていた。
無口で働き者の巖さんを藤雄さんは可愛がった。巖さんは早くに結婚し一男をもうけたが、妻は男を作って去り、2歳の息子は巖さんの両親のもとで育てられていた。
従業員寮は相部屋だったが、事件の夜、巖さんと同室の佐藤文雄さんは居なかった。この頃、藤雄さんの父藤作さんはリウマチで入院し、祖父と同居していた孫の昌子さんは旅行に出ていた。
不用心を心配した藤作さんの妻のために、巖さんと寮で同室の佐藤文雄さんが離れの社長宅に一緒に泊っていた。これが巖さんのアリバイ証明を困難にした。
火災発生時、寮に住む従業員の佐藤省吾さんは、消防のサイレンで目が覚め、相部屋の同僚を起こして寮の階段を下りた。巖さんの部屋のガラス戸は開いていたが、中は見ずに外へ出たという。2人して寮の階段を下りた。
巖さんの部屋のガラス戸は開いていたが、中は見ずに外へ出たという。2人は工場敷地にある消火ポンプのホースをつなぎ、近くに住む村松喜作さんとともに放水した。
村松さんは「無事だった土蔵に家の人が逃げているかもしれない」と思い、土蔵近くの物干し台に上った。
「バールを持ってこい」と叫ぶと、佐藤省吾さんと巖さんがやってきた。放水で2人ともずぶ濡れで、巖さんは白っぽいパジャマ姿だったと村松さんは記憶していた。
遅れて駆け付けた「こがね味噌」の従業員の山口元之さんも、パジャマ姿でびしょ濡れの巖さんが工場に歩いてくるのに出会ったという。だが、これらの「アリバイ証言」は警察によって潰されてゆく。