大きな後見人
そして道長体制には、もう1人大きな後見人がいた。
道長の正妻で、彰子の母の源倫子である。
寛弘5年(1008)、敦成親王の誕生にあたり、倫子は従一位に叙せられた。
道長の推薦とはいえ、当時正二位だった道長より上位になった。
そして長和6年(1017)以降は道長が従一位になり、同位でいつづける。
そして道長体制には、もう1人大きな後見人がいた。
道長の正妻で、彰子の母の源倫子である。
寛弘5年(1008)、敦成親王の誕生にあたり、倫子は従一位に叙せられた。
道長の推薦とはいえ、当時正二位だった道長より上位になった。
そして長和6年(1017)以降は道長が従一位になり、同位でいつづける。