(写真提供:Photo AC)

大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。ドラマの放映をきっかけとして、平安時代にあらためて注目が集まっています。そこで今回は天皇家の最強の家長と大きな後見人について、新刊『女たちの平安後期』をもとに、日本史学者の榎村寛之さんに解説をしてもらいました。

そして彰子がトップに立つ

一条・三条・後一条の三代にわたる天皇家の中枢にいる、事実上の王権の構成員が、後一条・後朱雀兄弟と、3人の后の5人だけという体制がリスキーだということは、おそらく道長が一番知っていた。

何しろ彰子が道長より格上だったのである。

道長はこの任務を終えるとまもなく太政大臣を辞して、翌年には病によって出家する。

糖尿病等による健康不安もあったのだろうが、これで臣下の序列から離れて「大殿」となり、外部から王権をコントロールできる立場になった。

政務の実権は関白となった頼通に譲ったが、ストレスフリーな後見人になったのである。

出家して法名行観となった道長は、自宅土御門殿の東、鴨川の川沿いに法成寺無量寿院を建立したが、『栄花物語』には、諸国の受領が造営の負担を割り当てられ、積極的に加わったことが記されている。

彼の権威は依然として健在だった。