デザイナーの仕事を通して気がついたこと

そんな私は幼い頃から容姿に対するコンプレックスも強く、当時は人と話しているだけで自分の容姿が気になり、自信が無くなっていき、自分の存在が干し梅のようにしわしわと小さくなっていく感覚がありました。

完璧主義な性格も相まって、自分の欠点にばかり目がいき、今思えば醜形恐怖症(他人から客観的に見てそれほどの欠点ではないのに、本人が「自分は醜い」「人より劣っている」などという観念にとらわれて苦しむこころの病気)だったのかもしれません。

その反面、キラキラしたものや美しい人への憧れは強くなる一方で、高校を卒業する頃には美術(芸術)大学への進学を決意しました。今では10年以上デザイナーとして「美しいものを作ること」を仕事にしています。

デザイナーは感性を生かしてお金に変える仕事ですから、働く中で職場の同僚などを含め、周りには美的感覚に秀れ、センスが良い人が集まっていました。

そこで、“自分なりのキレイを体現している素敵な人”にたくさん対面してきたのです。

『センスのいい人だけが知っている「自分なりのキレイ」のつくりかた』(著:MIZUKI/ディスカヴァー・トゥエンティワン)

その人たちは、自分に似合うものを知っていて、それでいてやりすぎないバランス感覚を持っています。

相手からどう見えるのか俯瞰できる視点も持っているので、TPOに合わせた素敵な装いをいつもできているし、流行は程よくキャッチしつつも、何年後かに写真を見ても古臭く感じないようなタイムレスな装いをしており、そのすべてがその人なりの美しさを体現していました。

皆堂々としており、一括りにカテゴライズできない、あらゆるタイプの「魅力ある人」たちです。

それまでの人生では「可愛い(キレイ)とはこういうものだ! そうじゃないから自分は違う!」と決めつけ、勝手に自信をなくしていた私でしたが、そこで初めて自分の美的感覚がいかに狭かったのかに気がつきました。