真の供養とは

問題は自分の心にどう折り合いをつけるのかです。B子さんはそのための智慧を備えていました。

その日、私はB子さんから「野球が好きで、地域の野球チームのキャプテンをしていた彼が愛用していたユニフォームで供養していただけないでしょうか?」と打診を受けたのです。

『心が整うおみおくり-残された人がよく生きるための葬儀・お墓・供養のこと』(著:大愚元勝/中央公論新社)

もちろん快諾しました。お墓は骨の倉庫ではありませんし、お墓参りは遺族の心を癒やす役割が大きい。

花を手向け、お線香を焚く中で故人との関係性を思いおこし、心の対話に集中することが目的であって、納めるものが骨である必要はないというのが持論です。

分骨をしたいという相談も数多く寄せられますが、あまりお勧めしません。故人に対する想いは理解できるのですが、バラバラにしてまで骨に固執するのは遺族の自分本位な行為ではないでしょうか。

いずれにしても大切なのは骨ではなく、故人に対する想い。

この本質的なことが欠けたままする供養は、真の供養ではないと私は思います。