クリスマスを拒否したキリスト教徒も

松本宣郎編『キリスト教の歴史1』(山川出版社)では、「そもそもキリストの誕生の祝い、クリスマスがローマ宗教における冬至の祭りやゲルマンの風習と重なり合って、ようやく四世紀にキリスト教会でおこなわれるようになったのである」と説明されている。

キリスト教が浸透していくヨーロッパには、ゲルマン民族がいて、彼らは、「ユール」という冬至の祭を営んでいた。北欧では、現在でもクリスマスのことをユールと言う。

ローマの古代宗教やゲルマン民族の宗教は、キリスト教からすれば、「異教」である。異教であるということは、間違った教えを信仰しているということになる。

『神社で拍手を打つな! -日本の「しきたり」のウソ・ホント』(島田裕巳:著/中公新書ラクレ)

クリスマスが異教の祭であるということは、信仰を純粋な形で守ろうとするキリスト教徒にとっては、それは、排除すべきものであるということになる。

事実、ヨーロッパから清教徒、ピューリタンが渡ってきたアメリカでは、初期の時代にはクリスマスは冒涜にほかならないとされた。1660年には、「クリスマスに贈り物交換や、着飾った外出や宴会などの違反を犯した者には五シリングの罰金を科す」というクリスマス禁止令が出された(森本あんり『反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体』新潮選書)。

キリスト教のなかでも原理主義の立場、つまりは聖書に徹底して忠実であろうとする人々のなかには、現在でも、クリスマスを異教の祭として否定する者たちがいる。エホバの証人などがその代表である。

このように見ていくと、果たしてクリスマスはキリスト教の行事なのか、そもそもそこからして疑問なのである。