『漂流教室』 (1972年)
ある日、小学校の校舎ごと生徒と教師がタイムスリップ。環境破壊によって不気味に姿を変えた地球をサバイブする子どもたちを描くSFロマン

村の伝説が恐怖マンガのヒントに

酒井 11歳で漫画家になろうと決意したということですが、絵柄は昔から変わらないのでしょうか。

楳図 いや~、「これぞ自分」というものになかなか辿りつかず、小学生の時から悩みっぱなし。めちゃめちゃ苦労しました~。

酒井 楳図さんの絵は唯一無二。試行錯誤した歴史があったなんて……。

楳図 僕は、小学5年生の時に『新宝島』を読んで大の手塚治虫ファンになりました。それで漫画家を目指し、中学生でデビューしたいと思うようになったのに、手塚治虫まみれの僕は手塚タッチから離れられなくて。これではいけないと思っていた時、同級生に手塚さんの本を貸したら、「借りた覚えはない」と言って返してくれなかったんですよ。よし、それなら手塚離れしよう! と。

酒井 自分の描き方を模索するきっかけになったんですね。

楳図 はい。いかに自分の絵柄を見つけるか、悩みの第一歩です。それで「こんな感じかな」と、中学2年生の時にグリム童話の『ヘンゼルとグレーテル』をマンガ化した『森の兄妹』を描き上げました。

この作品と、高校2年生の時に描いた『別世界』が刊行されたけれど、まだまだマンガ界は手塚治虫一色でしたから、出版社から「あなたの絵柄は商業ベースじゃありません」と言われてしまい、後が続かず。じゃあ、怖いマンガをやろうと思ったけれど、世の中ではまだ理解されていなくて。「まつ毛は3本にしてください」という時代でしたから。

酒井 マンガ界には制約が多かったのですね。

楳図 一番下から這い上がっていこうと思って、しばらくは大阪で貸本屋向けにマンガを描いていました。