村の伝説が恐怖マンガのヒントに
酒井 11歳で漫画家になろうと決意したということですが、絵柄は昔から変わらないのでしょうか。
楳図 いや~、「これぞ自分」というものになかなか辿りつかず、小学生の時から悩みっぱなし。めちゃめちゃ苦労しました~。
酒井 楳図さんの絵は唯一無二。試行錯誤した歴史があったなんて……。
楳図 僕は、小学5年生の時に『新宝島』を読んで大の手塚治虫ファンになりました。それで漫画家を目指し、中学生でデビューしたいと思うようになったのに、手塚治虫まみれの僕は手塚タッチから離れられなくて。これではいけないと思っていた時、同級生に手塚さんの本を貸したら、「借りた覚えはない」と言って返してくれなかったんですよ。よし、それなら手塚離れしよう! と。
酒井 自分の描き方を模索するきっかけになったんですね。
楳図 はい。いかに自分の絵柄を見つけるか、悩みの第一歩です。それで「こんな感じかな」と、中学2年生の時にグリム童話の『ヘンゼルとグレーテル』をマンガ化した『森の兄妹』を描き上げました。
この作品と、高校2年生の時に描いた『別世界』が刊行されたけれど、まだまだマンガ界は手塚治虫一色でしたから、出版社から「あなたの絵柄は商業ベースじゃありません」と言われてしまい、後が続かず。じゃあ、怖いマンガをやろうと思ったけれど、世の中ではまだ理解されていなくて。「まつ毛は3本にしてください」という時代でしたから。
酒井 マンガ界には制約が多かったのですね。
楳図 一番下から這い上がっていこうと思って、しばらくは大阪で貸本屋向けにマンガを描いていました。