保守は「態度」、イデオロギーではない

そして、それに呼応する勢力が一定程度ある。世論の大勢も、ある意味で性急なトップダウン手法を歓迎していく。

これに待ったをかけるような発言をすれば、ネット上で「死ね」とか「左翼」とか「売国奴」とか、ののしられる日々が続きます。いくら叩かれ慣れている私でも、あまり楽しい話ではありません。

石破茂
(写真提供:講談社)

それで、やっぱり苦言を呈するのはやめておこう、あるいは3回言おうと思ったけど1回だけにしておこう、ということになってしまったら、民主主義の前提である健全な言論空間が失われてしまうのです。

保守というのは、本来、性急な変化を希求する「革新」に対してブレーキをかけつつ、今までの社会の良さを残しながら漸進しようというスタンスです。

保守は、ですからあくまで「ありよう」や「態度」であって、そのものがイデオロギーではありえないし、一定のイデオロギーを前面に出して性急な変化を求めるのであれば、それはおそらく「右翼」というのでしょう。

だから私に対して人格攻撃的な批判を展開するような人々は、どんなに「保守」を自称しようとも、決して「保守」ではありえないのです。