安倍総理の強さは脆さでもあった

2013年、私が幹事長を仰せつかっていた時の参院選では、安倍総理が「広島と静岡で自民党として2人候補者を出したい」と強くおっしゃいました。

しかし私は、「どちらも成功する確率が低すぎます。自民党が2議席独占しようとすれば、きちんと票割りをする必要がありますが、地元の体制としてそれは無理です」と反対しました。

安倍総理もかなりこだわりを持っておられましたが、最終的には私の幹事長としての判断を尊重してくださいました。

そこまでこだわっておられた理由は当時はわかりませんでしたが、その6年後、19年の参院選では、広島選挙区にまさに自民党から2人候補者を出し、2人のうちお一人が落選されました。

それが、第一次内閣で安倍総理を批判したとされる溝手顕正さんで、当選された河井案里さんが、夫の元法相・河井克行さん共々、その後公選法違反で逮捕され、河井陣営に自民党本部から巨額の資金支援が行われていたことが明らかになったのはご承知の通りです。

『保守政治家 わが政策、わが天命』(著:石破茂 編集:倉重篤郎/講談社)

安倍総理は、郵政民営化に反対して離党した造反組を復党させたり、情にもろい部分もあったと思いますが、一方で、たてつく者に対しては冷厳な一面も持ち合わせておられました。それは本来保守がもつべき寛容とは違った、非常にユニークな強さだったと思います。

敵か味方かを識別し、敵を一斉に攻撃するのは、たしかに地道に議論を重ねて妥協点を見出すよりも早くてドラスティックかもしれません。しかしその強さは脆さでもある。

意見が出ない組織、単一的でモノトーンな組織はものすごく危ないのです。それは、ビッグモーターやジャニーズ事務所の例の通り、自浄作用が働かない。

うまくいっている時は勢いよくのぼっていけますが、何らかの問題を内包した途端、その問題に毒されていく速度も非常に速い。