発電所の記号の由来

ところで、この記号の由来は何だろうか。『地図記号のうつりかわり』などには「歯車と電鍵」とあるが、電鍵といえばモールス信号を送るときに手で打つ器具だから発電所には場違いだ。

「明治42年図式」の解説書『地形図之読方』で調べてみると、「歯輪ニ電鑰(でんやく)ヲ付シタルモノ」とある。電鑰など字さえ見たことがなかったが、漢和辞典によれば「鑰」は「かぎ」や「じょう」の意という。

勝手な想像だが、水力発電に使われるフランシス水車を横から見たとして、羽根車(ランナー)を歯車の図形、その外側の案内羽根(ガイドベーン)をこのカギ形で表しているのかもしれない。

なおこの記号は明治大正期の図式に「発電所」とあるが、運用としては変電所も含まれている。両者が区別されたのは「昭和30年図式」と「昭和35年加除式」だけだ。

『地図記号のひみつ』(著:今尾恵介/中央公論新社)

京都電気鉄道は当初、琵琶湖疏水由来の電気を使う究極の「エコ電車」としてスタートしたが、疏水の水藻を刈る作業のため発電所の運転を月に2日ほど止めたので、これに合わせて電車も運休となった。

なんとも牧歌的な時代であるが、路線も延長されて乗客数が増えると間に合わず、明治32年には石炭火力発電所を街外れに設置した。

初めて高圧長距離送電に成功したのは、東京電燈(現東京電力の前身のひとつ)が山梨県北都留(きたつる)郡広里村(現大月市)に設置した駒橋発電所である。

<『地図記号のひみつ』より>

現在でも中央自動車道や中央本線の車窓から見えるこの発電所は明治40年に竣工、東京の早稲田配電所(変電所)まで76キロに及ぶ送電が行われた。

ちなみに早稲田配電所は周囲が田んぼであった頃の神田川畔に設けられ、大隈重信邸(現大隈庭園など)のすぐ近くにあった。現在は完全に市街化したが、今でも東京電力早稲田変電所として稼働している。