「電信線」の記号

さて、昔の話に戻ろう。現在は2万ボルト以上に限定される「送電線」だけになった電線記号も、かつてはもうひとつあった。「明治24年図式」で定められた「電信線」である。

東京―横浜間に電信が開通したのは、日本初の鉄道が開業する3年前の明治2年と早い。

これに対して「電灯」の方は遅れた。かのエジソンが実用的な白熱電球を開発したのが明治12年なのだから無理もない。

その「メンローパークの魔術師」が点灯デモンストレーションで大喝采を浴びてから3年後の同15年、銀座にアーク灯が登場した。これが日本国内における電灯の嚆矢で、家庭配電が行われたのは同20年からである。

電信線の記号は細線に串団子のように黒丸を一定間隔で連ねたもので、「明治33年図式」では同じ記号が「電線」に変わる。

ちょうど西暦1900年にあたるこの年に電灯照明が20万灯を記録し、普及が本格化したのと軌を一にしたものだろう。従来の電信線と新たに加わった電力線の両者を含めて図上に表記したと思われる。

「明治42年図式」では前述のような高圧送電線が登場したことにより、黒丸で細線をはさむタイプの「電線(特別高圧)」と従前の串団子の「電線(普通)」に分類されるようになった。