高校生時代の江原さん(左)と丸山さん(写真提供◎江原さん)

丸山 きたきた、前世話(笑)。本郷高校は今すごく優秀な進学校になっているそうだけど、当時あった機械科とデザイン科はなくなったんだって。デザイン科の1学年上には現代美術家の村上隆さんがいたし、そのほかにも著名なクリエイターをたくさん輩出してきたから、残念でしかないね。

江原 デザイン科のある高校って、当時珍しかったんじゃないのかな。

丸山 そうそう。僕は子供時代から洋服が好きで、ファッションデザイナーになりたいという夢を抱いていた。だから本郷高校を選んだんだけど、当時はそれ以外に選択肢がなかったという記憶。そうでなかったら巣鴨まで通うのが大変すぎるもん。

江原 当時の敬太の実家は、原宿だったもんね。

丸山 そういえば、プーヤンはなぜデザイン科を選んだの?

江原 すでに両親が他界していたし、一人で生きていくために手に職をつけたほうが就職に有利だと考えて。敬太はあの頃から本当に洋服が好きだったよね。新しい洋服を買うために、いらなくなった洋服を友人たちに売っていたのを覚えている。

丸山 それ、みんな言うんだけど……。

江原 「プーヤン、この山本寛斎のシャツ、サイズ的にもぴったりだし、似合うと思うんだけど」とか勧めてきて、「いいねぇ」って言うと、「はい、いくらね」って請求されてた(笑)。

おかげで僕は正価では高くて買えないような洋服を着る機会に恵まれたし、それがきっかけでファッションに目覚めたんだよ。そういう意味でも僕にとって敬太は刺激的な友達だったね。