京都御苑の枇杷殿跡
現在の京都御苑。枇杷殿跡のあたりも市民の憩いの場に(撮影・筆者、以下同)
『THE TALE OF GENJI AND KYOTO 日本語と英語で知る、めぐる紫式部の京都ガイド』(プレジデント社)の著者が、『光る君へ』の舞台である平安京の文化や、知られざる京都の魅力について綴ります。

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京都御苑にたたずむ枇杷殿跡

大河ドラマ『光る君へ』はいよいよ終盤。一条天皇亡きあと、皇太后となった彰子は、住み慣れた藤壺を出て枇杷殿(びわどの)に移りました。

その「枇杷殿跡」を、現在の京都御苑内に見つけました。公園(御苑)の一角に、枇杷殿がその場所にあったことを示す駒札(立札)が立っているだけですが、この地で彰子や紫式部が暮らしていたのだと思うと感慨もひとしおです。

ところで、現在の京都御苑(京都御所)は、平安時代の御所とは違う場所にあることをご存じですか。

それゆえ、枇杷殿は当時の大内裏の敷地の東側に位置しており、そのさらに東側には、彰子の実家である藤原道長の土御門第(つちみかどてい)が建っていたのです。

その土御門第の跡も、現在の京都御苑内に見つけることができます。京都迎賓館と京都仙洞御所のちょうど中間あたり。枇杷殿と同様に、「土御門第跡」という駒札がぽつんと立っています。

『光る君へ』ファンとして見逃せないのが、そのすぐ東側に紫式部の邸宅跡と伝わる廬山寺があること。実際に訪れると、ふたつの邸宅の距離の近さを実感できると思います。

ドラマでは永遠の想い人でありソウルメイトという設定ですが、実際のところ、二人の関係はどうだったのか。四季折々の美しさを感じられる御苑を歩きながら、さまざまに想像を巡らせるのも楽しいのではないでしょうか。

京都御苑にある「枇杷殿跡」の駒札
京都御苑にある「枇杷殿跡」の駒札