紫式部と北陸地方との関係

さて、紫式部と北陸地方との関係は、大河ドラマで放送された内容の通りです。

『女たちの平安後期―紫式部から源平までの200年』(著:榎村寛之/中公新書)

この地域は大陸との玄関口。式部の父で、漢文に通じた知識人だった藤原為時が越前守として赴任したのも、その重要性に拠った人事だったと見られています。

また、為時がのちに越後守に任じられた時に息子の惟規を現地に呼び寄せたのも、そういう現場を見せておきたかったからと考えられます。この地域の官道は古代北陸道で、能登半島の付け根を通っており、為時も惟規も通った道だったのです。

日本列島を逆さまにしてください。日本海は大陸との間の大きな湖のようにも見え、能登半島は大陸に向かって突き出した桟橋とも言えますね。

北西の朝鮮半島や中国からも、北の渤海からも、海流に乗ってきた船は能登半島に引っかかるのです。

六世紀の男大迹王(継体天皇)は福井県(越前国)を勢力圏に置いており、大陸とのチャンネルを持っていたと見られています。