最後まで希望を持ち続けた父

でも今思い返すと、あの13日間の父はきっと、自分にも言い聞かせていたのではないでしょうか。「最後まで希望を持とう」と。半年も先の自分の誕生日の話をすることで、何とか母がその日まで生きてくれないかと、祈るような気持ちだったのだと思います。

いや、もしかしたら「おっ母はわしの100歳の誕生日を一緒に祝うてくれる」と、半ば本気で信じていたのかもしれません。

本当に、父は最後の最後まで、母の生命力を信じ、諦めていなかったのです。

 

※本稿は、『あの世でも仲良う暮らそうや 104歳になる父がくれた人生のヒント』(文藝春秋)の一部を再編集したものです。

【関連記事】
【前編】「危篤になるのを、私たちが面会できる日まで待っていてくれた」入院中の91歳母と、コロナ禍で2ヵ月半ぶりの面会。父の声に母の心電図が反応して
完璧だった母が認知症になり、90代半ばで家事を始めた父「これからはわしが、おっ母に恩返しする番じゃ」
信友直子 なぜ90代の父は、認知症の母に怒ってはいけないのを分かっていながら激高したのか。ひとり娘が撮る「老々介護」の日々に見えた”父の愛”<前編>

あの世でも仲良う暮らそうや 104歳になる父がくれた人生のヒント』(信友直子/文藝春秋)

認知症の母をお世話した父は、愛に溢れた“ええ男”だった! 日本中に感動を巻き起こしたドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』の監督が紡ぐ、笑いと涙に満ちた家族の物語。同郷・広島の104歳、石井哲代さんとの同級生対談も収録!