亡くなってからも父の暮らしを支える母
父いわく、そんな時いつも、母のかたわらには父が、助手のように控えていたのだそうです。
当時から父の唯一の得意技だった「コーヒーを豆から挽いて淹れる」を実践してもてなし、打ち明け話が白熱して長引けば「おかわりいらんかね?」と気前よくふるまっていたのだとか。
そしてそんな我が家をご近所さんたちは、親しみを込めて「信友喫茶室」と呼んでいたそうです。
「わしが定年退職してから家にばっかりおるけん、おっ母はわしのことも心配したんじゃろう。おっ母を訪ねてくる友達の輪に、わしを入れてくれてのう。じゃけんわしも近所の人らと、自然と仲良うなったんよ。今思うたらおっ母は、自分がおらんようになってもわしが困らんように、考えてくれたんかもしれんのう」
母亡き後に、父からこんなほっこりしたエピソードが聞けるとは、思ってもみませんでした。母はこうして、亡くなってからも父の暮らしを支え、父の中に今も生きているんですね。
※本稿は、『あの世でも仲良う暮らそうや 104歳になる父がくれた人生のヒント』(文藝春秋)の一部を再編集したものです。
『あの世でも仲良う暮らそうや 104歳になる父がくれた人生のヒント』(信友直子/文藝春秋)
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