写真◎新潮社

好きだった父だからこそ

秋吉 ご両親の期待に沿って画家の道を諦め、職業軍人になった。日本の敗戦とともにしゅんとして、それまでの矜持を手放した。それから──。

下重 公職追放が解けたら昔の軍人仲間とまたつきあうようになって、日本の保守化と歩調を合わせるように、過去の価値観に戻っていった。これがいちばんこたえましたね。

「お父さん、“あの戦争は間違っていた”っていってたじゃない、それなら貫いてよ」

そんな思いで胸が張り裂けそうでした。

秋吉 それで清瀬の療養所には近づかなかった。いえ、近づくことができなかったんですね。

下重 父が生きていた頃、主治医から長い長い手紙が送られてきたことがあるんです。

「テレビで話しているあなたはいつもにこやかで優しそうなのに、一度たりともお父さんのお見舞いに来ない。なんと嘆かわしいことか」

娘の私をはっきりと非難する内容でした。腹が立ったし、とても悲しくなりました。父を気の毒に思い、意を決して筆をとったのかもしれない。でも、私たちの関係性なんて何一つ知らないその人から、そんなお叱りを受けるのはやるせなかった。「そんな無神経なドクターがいるところには死んでも行くものか」ってますます頑なになったんです。

秋吉 私、これまでお話を聞いてきて、ようやくわかりました。下重さんは悲しかったんですね。お父さまとの関係は、反抗や軽蔑ではなくて、「私を落胆させないでほしい」という思いに満ちていた。

下重 やっぱりね、父のことは好きだったんだと思うの。

秋吉 惚れ抜いていた“初恋の人”なんだから、がっかりさせないでくれ──が本心だった?

下重 鋭いですね。