青春の終わり
秋吉 かのマザー・テレサは「愛の対極にあるのは、憎しみではなく無関心」といっています。確かに、好きじゃなければ気にも掛けませんよね。反対に、愛があるからこそ期待してしまう。期待が裏切られれば負の感情を抱いてしまう。
下重 むずがゆいですが、そうなんだと思いますよ。私が優しい顔をみせなかったのは、父の弱さを直視したくなかったからです。つまり、自分の内にもあるはずの「同じ弱さ」を突きつけられるようで、目を背けずにはいられなかった。
秋吉 関係性が近い相手にはどうしても期待をかけてしまいます。血のつながりがあれば、なおさら……。先ほどもおっしゃっていましたね。
下重 父が死んでずっと経ってから、パリのピカソ美術館を訪れた時など「ここに連れてきてあげたら、さぞ喜んだだろうなあ」としみじみ感じたことがあります。生前はそんなこと、思いもしなかったのにね。
秋吉 ようやく青春が終わったんですね。
下重 本当にそう思いますよ。ずいぶん長いこと引きずってしまった、青春ですね。
※本稿は、『母を葬る』(新潮社)の一部を再編集したものです。
『母を葬る』(著:秋吉久美子、下重暁子/新潮社)
「母の母性が私を平凡から遠ざけ、母の信条を大胆に裏切る土台が出来上がってしまった」(秋吉)。
「30年以上、一度も母の夢を見たことがない」(下重)。
過剰とも思える愛情を注がれて育ったものの、理想の娘にはなれなかった……
看取ってから年月が過ぎても未だ「母を葬〈おく〉る」ことができないのはなぜなのか。
“家族”という名の呪縛に囚われたすべての人に贈る、女優・秋吉久美子と作家・下重暁子による特別対談。