がんで余命宣告を受けたCさんは、手書きのノートに自分の人生を綴っていました。嫁ぎ先で苦労したこと、思い余って家を出ようとバスに乗り込んだ日のこと……。ノートを目にした娘さんが「母のために」と冊子にまとめられたのですが、それを読んだCさんの夫が「お前の苦労がやっとわかった」と謝ったそうです。

「最近の両親は、病院でものすごく仲良しなんですよ」という娘さんからの知らせの直後、残念ながらご本人は亡くなられましたが、自分史が長年連れ添ったご夫婦の理解を深めることに繋がった事例だと思います。

記録しなければ消えてしまう個人の体験も、自分史にまとめておけば、家族や知人だけでなく、広く社会に(6)「生きた証を残す」ことができるでしょう。

1943年生まれのDさんは、中国大陸で終戦を迎えました。Dさんの母親は郷里の友人と長く文通をしており、玉音放送を聞くまでの平穏な暮らしを書き送っていたのです。それが敗戦とともに一変。身重の体で3人の子どもを抱えて、命からがら日本に帰ることになりました。

母の友人から、「貴重な記録だから」と手紙の束を託されたDさんは、戦前の地図や資料をもとに、過酷な「引揚げ」の様子も加えた詳細な体験記をまとめることに。「これでやっと私の戦後が終わりました」としみじみ語った口調が、とても印象的でした。

自分史づくりは、人生の出来事を回顧したり整理して表現したりと、思考・記憶から感情まで、脳の広い領域をフル稼働させます。何かを思い出そうとする時の脳は、アイデアを考える時と非常に近いことをしているのだとか。このように(7)「脳を活性化する」ことから、認知症予防に自分史づくりが最適であるという研究者もいます。

何より自分史は、(8)「作ること自体が楽しい」ものです。それが最大の魅力であり、私は皆さんにもぜひそれを楽しんでほしいと思います。

後編につづく