(写真提供:Photo AC)
「『ああすれば、こうなる』ってすぐ答えがわかるようなことは面白くないでしょ。『わからない』からこそ、自分で考える。……それが面白いんだよ」。わからないということに耐えられず、すぐに正解を求めてしまう現代の風潮についてこう述べるのは、解剖学者・養老孟司先生です。今回は、1996年から2007年に『中央公論』に断続的に連載した時評エッセイから22篇を厳選した『わからないので面白い-僕はこんなふうに考えてきた』より、2024年8月に収録されたインタビュー(聞き手・鵜飼哲夫)を一部お届けします。

「バカの壁」の昨今

鵜飼 『わからないので面白い-僕はこんなふうに考えてきた』には、2003年に『バカの壁』(新潮新書)を出版する前後に書かれた文章が多く入っています。これは「バカの壁」ではないか――近年、そう感じることはありますか。

養老 将棋をAI(人工知能)にやらせるようになり、人間を打ち負かすようになったのをはじめ、AIが大きな力を発揮しています。人間の脳神経をまねたコンピュータが、独自に勝つ法則を学習するディープラーニングがその鍵を握っています。

問題は、どうしてAIが強いのか、誰にもわからないことです。勝つからいいじゃないか、勝つんだからしょうがない。それでおしまい。アインシュタインが「神はサイコロを振らない」といった時代には、一つひとつのプロセスに意味があった。

それが今や、プロセスなんてどうでもいい。コスパ、タイパを重視して都合のよい結果、望ましい結果だけが効率的に手にはいりさえすればいい、という動きが広がっている。ものすごく難しい時代だ。

鵜飼 結果良ければすべてよし、ではダメですか。

養老 ものごとには運動系の論理と知覚系の論理があって、運動系では、やってみて、失敗から学ぶ、これがいちばんいいんです。そもそも、何かをやってみなければ成功も失敗もない。一度やって失敗したぐらいで諦めてしまうと、そこで可能性が潰えてしまう。運動系では、しぶとく頑張るやつが、長い目で見るといいんですよ。

でも、運動系の論理に縛られると、世界はどう実在するのかといった知覚系の論理がこぼれ落ちてしまい、一種の疎外が起こる。「どの結果が良ければいいのか」を誰がいつ決めるのか。

僕は今、病気だから思うけれど、そういう結果重視の時代では、「がんの手術は成功し、がん細胞は撲滅しました。でも残念ながら本人は亡くなりました」ということになりかねない。