実体感

鵜飼 実体感ですか?

養老 人間の身体の知覚とカメラという機械の知覚は違うでしょう。カメラの場合、要するに物理的な光のある状況を映していて、写真は、ある意味で光のいたずらとも言える。でも、世界には光があたっていないところもあり、写真の背景には映っていない何かがある。

養老孟司
養老孟司さん(2024年10月撮影。写真:本社写真部)

ものの実体感、実在感がある人は、その映らなかったものに思いを寄せるけれど、子どもの頃から自然に接していない今の人は、実体感が希薄だから写真に映っているものがすべてになってしまう。

展示してある虫の実物は肉眼でよく見ず、スマホばかり覗いている人を見ながら、そんなことを考えました。

鵜飼 ちょっと難しいですが……。

養老 結局ね、実体感っていうのは、自分がどのくらいものごとに一生懸命関わってきたか、どんな日常を過ごしているか、それで決まる。例えば、銀行に勤めている人にとってはお金に実体感があるんだよ。お金が抽象的なものだなんて思ってもいない。面白いのは数学者だね。彼らは数のことしか考えていないから、数は実体なんです。

鵜飼 「数学的な自然」があるという数学者もいますね。

養老 ここに3個の茶碗があるでしょう。そうすると、数学者は、ここに3という数字が不完全に実現されているって思っている(笑)。

鵜飼 養老先生にとって実体感があるのは?

養老 もちろん、自然ですよ。でもそういうところで話の合う人が減っちゃった。みんなスマホばかり見ているんじゃ、どうにもならない。時代遅れになったなあ。歳とったなあと思う。