おじいちゃんも頑張るから自分たちも頑張る

共稼ぎの私たちはひとり息子にも恵まれ、平穏な日々を送っていた。30代から高血圧を抱えていた夫が脳梗塞に倒れたのは、65歳のときだ。脳幹で梗塞が起き、意識が戻らない。私は毎朝、夫の体を拭きながら、言葉をかけ続けた。

「おとうさん、今日はいい天気やで」
「手足を拭くよ。浴衣をしかえてさっぱりした」

するとある日、夫が私を見たのだ。目が合い、意識が戻ったことに気づく。私が看護師さんたちのもとに走ると、みんな「うっそ!」とおっしゃった。

意識不明になってから49日が経っており、病院はじまって以来の出来事だったらしい。夫は生と死の間をくぐりぬけ、半身不随として生かされたのだ。

入院生活を終えると、在宅介護がはじまった。午前2時、夫が私を呼んでいる。夢うつつのなかで起き上がると、寝具も肌着も尿で濡れていて、ひとつひとつを脱がし、着せていく。病みたりといえども、夫の体は重い。

こんな私たちが小さい孫たちと暮らすようになったのは、息子のはからいからであった。老いや病を目の当たりにすることは、人間の弱さを見つめることでもある。日々の介護を通してやさしさや労わりの心を肌で感じ、命の尊さを学ぶことが、子どもの成長に必要ではないかと息子は考えたのだ。

車椅子に夫が乗降するとき、私が夫の体を抱える。すると孫たちはハンドルをしっかり握って支える。入浴の際、孫たちが準備をしておき、息子と私で浴槽から夫の体を抱え、運ぶと、みんなで一緒に拭いていく。痩せた足、だらりとして硬直した指にさわる。

痛みをこらえてリハビリする夫を見つめる。不自由な体ながらも、残存機能を生かさんと励む夫の姿は、孫たちの心を育てる一助になったのかもしれない。おじいちゃんも頑張っているから自分たちも頑張らなくては、という言葉に、なにより私が支えられた。

もちろん在宅介護は報われる日ばかりではない。それでも10年間に及ぶ介護をなんとか続けることができたのは、こうした息子や孫たちの思いやりがあってのことと思う。

そして夫との友情と、病みながらも時折見せてくれる微笑みが、私のエネルギーになったことは言うまでもない。