100歳を目指して生きるために

だが、とうとう私はひとりになってしまった。夫は旅立ち、孫たちはそれぞれの道を歩きはじめた。

私はいまも散歩の一環として、杉の木立が続く山道を登る。クマザサが山の斜面を覆っている。笹の葉の白い縁がくっきりとして、目を引く。黒土を含んだ山道を木々の枯れ葉が埋めている。

ひとり、金剛山に登ることもある。樹氷が美しい。まるでクジャクが羽を広げたよう。麓を流れる石川は、毎日見ても飽きない。古の人たちもさぞ眺めたことであろう。カワセミの羽の瞬間的な青さに目を奪われるたび、偉大な自然の恵みをありがたく思う。

はや94の老齢となった私だが、ひとりで住まい、何事も自分でできるよう、自立を心がけている。前向きで、好奇心いっぱいの人であり続けたい。いくつになっても、ときめいていたい。そのためには心身の健康を心がけ、養生に励むことだ。

自立した100歳を目指すために努力は惜しまないつもりだが、昨今の世の流れの速さには、ときに驚き、あたふたしてしまうことがある。

そんなある日、師範学校で同じクラスだったSさんから久しぶりに手紙が届いた。卒業から70年以上が経っているが、在職中、ともに給食に関わる仕事をしていたため、献立を検討する区の試食会でも再会したことがあったのだ。やはり友達はいい。手紙には、次のように書かれていた。

「わたしは娘と医者に支えられ、静かに生きています。お会いしたいが、手押し車で歩いています」

Sさんは色紙に、干支や釣り上げた鯛を抱えた大黒様、恵比寿様、お雛様などの俳画や切り絵、そして言葉を添えて送ってくれた。この色紙はSさんの友情そのもの。見ていると、老いても負けず、しっかり生きていきたいと思えてくる。

一方、私たちはこれまで人生の辛酸を舐めた者同士でもある。苦しいとき、「Sさん……」と心のなかで語りかけ、自分を奮い立たせている。

Sさんは、私の住まいから眺められる二上山(にじょうさん)の麓に住んでいる。二上山を眺めつつ、ともに老いても、微笑みを忘れず生きていきたい。