【そして、いま】
阪野さんに、お気持ちを伺いました

子どもたちには純粋な心と眼差しがあります。子どもが大好きだった私にとって、小学校教員は憧れの職業でした。母がうどん店を開いていたこともあり、女性であっても経済的に自立しなければならないと思っていたところ、女学校の昇降口に一枚の貼り紙を見つけました。そこには大阪第二師範学校に女子部ができるとあり、受験して憧れの教職に就くことができたのです。

出産後、私が仕事を続けることに夫は大反対でした。それでも、「人生なにがあるかわからない」と育児・家事・仕事を両立。定年まで勤めたあとは、特別支援学級の支援員(いきいき学級支援員)として働きました。

教員という仕事は、自分も学ぶことができる、素晴らしい仕事です。その職に就けたことを、いまも感謝して生きています。

私は真面目に、まっすぐ竹のように生きることを信条としてきました。息子からは「融通がきかない」と指摘されることもありますが、明治生まれの働き者の母が、私の人生のお手本なのです。母はかまどを囲みながら、「この世が苦しくても辛抱すること」「正念を入れて生きること」がいかに大切かを、よく語ってくれました。

こうして、私のこれまでを記したものが『婦人公論』に採用していただけることになり、とても嬉しく思います。普段から雑文や短歌の投稿を楽しむほか、心身の健康のために続けているのは、毎日1、2時間歩くこと。夏場は、愛犬と息子と夕方4時ころには歩き出します。

ここは周囲を山や川に囲まれた空気の澄んだ町で、最寄りの駅からは金剛山ロープウェイ行きのバスも出ていて便利。子どものころから金剛登山は学校行事のひとつでしたから、金剛山はいわばきょうだいのようなものなのです。歩くことは、心を前向きにしますね。

500メートルほど離れたところに暮らす息子家族は、日々様子を見にきてくれますし、ひとり暮らしでも心丈夫です。毎日風呂のなかで足を揉み、食事も自分でつくります。

老いは時々顔を出しますが、醜いものと卑下するのではなく寿と思い、写真の母と話しながら、日々を生きております。

 


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