遺言は、個人についてと会社に関することに分けて書くようにしています。個人に関しては、財産と呼べるようなものはさほどありませんが、小さいけれど自分の家があります。お金には頓着しないほう。ですが、大きな権力に対してノーと言う活動を私はしているので、仕事を失うことも少なくありません。

そんなとき、お金の必要性に迫られ自分の思想は一時棚上げし、蓋をする、という生き方は自分にとってイヤなので。仕事がなくても、数年程度、最低限の生活ができるだけのものは手元に残しておくようにしています。

大変なのは、会社に関することです。私が代表を務めるクレヨンハウスには、100数名のスタッフがいます。育児中の人も介護をしているスタッフも。その人たちが、私がいなくなっても、せめて何年かはいろいろなことを心配しないでいられる形にしておきたいと考えています。

遺言の中身は、毎年大きく変わるわけではありません。誰かに何かを残すにしても、持っているものがそうそう変わるわけではないので。それでも毎年、遺言を改めるのは、なにより気分を更新したいからです。

この歳になると、何かを残したい「誰か」や、遺言を託した友人が、1年の間にいなくなっていることもあります。そういう寂しさも、引き受けなくてはいけません。

この習慣を始めた頃は、「なんでお正月に遺言を書くの?」と、友人から言われたことがあります。縁起でもない、ということでしょう。母も生前、「年始にそんなことを」と呆れていました。でも、「遺言は、今ここにある自分を確認することだから、とってもおめでたいことでもあるじゃない? 明日につながることだし」と言い続けていたら、理解してくれるようになりました。

 

一番更新したいのは、自分の気持ち

思い起こすと、元日に遺言を書くようになったのは、30代後半と40代後半に、大事な友人を亡くしたことがきっかけでした。2人とも、最期はこうありたいという願いがあったにもかかわらず、逡巡しながら何度も自分の気持ちを確かめ、書いて残すと決めたときには、書く力を得られず、明文化することなく亡くなったのです。

私はその友人たちの遺志を聞いていたけれど、耳からの言葉のみでした。私は彼女の親族でもなんでもないわけで、ご家族にどう話していいか……。言葉をつなぎ合わせても、なかなか伝わらず、とても苦しい思いをしました。

そのとき、はっきりと、遺言やリビング・ウィルの大事な役割のひとつ、終末期に関する治療の指示書というかお願いを形で残しておかないと、自分が望んだ通りの最期は迎えられないのだと痛感したのです。だからこれは、彼女たちからの、宿題。私は学生時代は宿題をやらなくても平気なタイプでしたが、この件に関しては続けています。