母の最期に関しても、いまだに「あれでよかったのか」という思いが残っています。母は晩年、認知症でしたが、体調が悪くなり緊急入院した際、胃ろうをすることになったのです。母の生きる姿勢のようなものからも、なんとはなしの会話からも、彼女のラストステージに関する希望は聞いていたつもりでした。

けれど、胃ろうについては話し合っていなかった。私個人は、そこまでするのには反対でした。でも差し迫った状況下で「しないと命にかかわります」と医師に言われ、私は曖昧にうなずいてしまったのです。結果的に、それでいわゆる寿命が多少延びたのは事実ですが――。

私自身がそういう状況になった時、まわりの人たちを苦しめたくないので、「こういう状況になったら治療を打ち切ってください」といったことも明文化してあります。

実際に延命治療をやめる医師も、葛藤があるに違いありません。ですから、医療の関係者に向けても、「これは私が選んだことなので、どうか悩まないでください。ありがとうございます」という一文が添えてあります。

 

自分の負の部分にはちょっと蓋をする

すごく明るくて元気に見える人というのは、たいてい自分の内側にそうではない自分を隠し持っているものです。ただし、「これが本音です」と隠し持っているものを全部さらけ出したら、相手も戸惑うでしょう。だから人と会う時は、自分の知っている自分の負の部分にはちょっと蓋をする。これはもう、反射神経ですね。

いろいろな社会的な運動にかかわっていると、「運動をしている女って、見ていてキツイんだよ」といった声もよく聞きます。「だから広がらないんだよ」とも。何かを訴える行為だから、はたから見るとキツイとかイタイとか思われるのでしょうね。

だったら、できるだけ笑顔で、楽しげな自分でありたい。実際、運動をするのは私にとっては楽しいことですから。そんなこともあって、意図的に明るくしようとは思わないけれど、家を出た瞬間にスイッチが入って、明るくなれるようです。

これは、私の健康の秘訣でもあります。スイッチが入ると気持ちが切り替わり、落ち込み続けてはいられないから、ラクになれる。自分が生き延びるために身につけた対応の仕方かもしれません。