一方、家の中では、静かに、穏やかに過ごしています。私は人が好きだけれど、それゆえに人と深くつきあうのがつらくなることもある。そして、ある年代を過ぎると、当たり前のように「死」という別離が訪れる。だから、余計つらくなるのですね。
そのしんどさを軽くしてくれる存在が、私にとっては育っていく植物です。花のタネをまき、球根を植え、花が咲くまでを見る。それが何よりの至福の時です。
昨日より今日、今日より明日、伸びて葉を増やし、やがて蕾をつける。その様子を見ているだけで、元気になります。一人でタネまきをしたり、花の水やりをしている時間は、とても静か。私にとって思索するひとときでもあります。
一人でいる時間はとても大事です。なぜなら、自分とつきあうことこそもっとも難しいことだから。孤独のなかで、ちゃんと自分と向き合う時間を持たないと、日々の生活に流されてしまう怖さがあります。
だから1年の始まりの1月1日ばかりは、「ちゃんと立ち止まって、自分と向かい合おう」と自分に言い聞かせるようにしているのです。そして、何度となく読み返してきたメイ・サートンの『独り居の日記』(みすず書房)を読みます。
〈私にとっては、いま起こっていることやすでに起こったことの意味を探り、発見する、ひとりだけの時間をもたぬ限り、(略)ほんとうの生活ではない〉
この“1行”を深々と心に「吸い込む」瞬間がまた、わたしの1月1日なのです。孤独はときに、とても豊かな深いものだと思います。