なぜ紫式部らの次世代の実績がよくわかっていないのか

このように、紫式部や清少納言ら有名女流文人の次世代も、それぞれに宮廷女房、あるいは女官として活躍していたようなのですが、その実績は意外と明らかになっておらず、和歌の一節や系図の断片から考えなければならない状況にあります。

その理由として、藤原頼通の時代になると『御堂関白記』や『小右記』のようなまとまった日記もなく、また『源氏物語』や『栄花物語』のような高名な文学作品がなかったことと関係があると思われます。

その中で、文人として活躍したのが菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)です。『光る君へ』の最終回に、吉柳咲良さん演じる「ちぐさ」として登場しました。

『更級(さらしな)日記』の著者として知られている彼女の母の姉妹はかの右大将道綱母です。つまり『蜻蛉(かげろう)日記』の作者の姪にあたります。

『源氏物語』の熱烈な読者として知られる彼女は、後朱雀天皇の皇女で藤原頼通が後見した祐子(すけこ)内親王に女房として仕え、文化人として活躍しました。

『浜松中納言物語』や『夜半の寝覚』などの小説の作者と言われていますが、実は、どちらもその全てが今に伝わっているわけではない。つまり彼女のような時代を代表する文人女性ですら、その全容は断片的にしかわかっていないのです。

その理由として、もちろん前述したように今に残る日記などの資料が少ないこともあるのですが、それは単に資料が散逸してしまったのか、それともたまたま資料が残らなかったのか、さらには文献や個人に対する関心の差なのか…。

それについては、あまり議論されたことはありません。菅原孝標女の実像はこれからの研究が待たれているところなのです。