失われた日本を求めて

シカゴの裕福な家庭出身のケヴィンは、四半世紀にわたって日本で暮らしています。東京に住み、軽井沢のはずれの追分に別荘として小屋を持っている。小屋の隣にある古い山荘に、篠田夫妻が住み始めたことで物語が動き出します。

夫はかつて南米で大使を務めた人物で、妻の貴子(たかこ)は月夜に能を舞う不思議な女性。ケヴィンは自分の愛する日本古来の文化と現状のギャップにショックを受け、「失われた日本を求めて」という英文サイトを作成中です。

自分の小屋を「方丈庵」、篠田氏の山荘を『源氏物語絵巻』にちなんで「蓬生(よもぎう)の宿」と呼び、夫妻と親しくなるにつれ、特に貴子と幻想的な交流をする。上巻は、失われゆく日本文化のきらめきを哀惜するような物語になりました。

ケヴィンが現代日本を前にして受けた衝撃は、多くの西洋人が共有するものでしょう。私も帰国した時、とにかく「醜い」のに驚きました。街づくりの伝統がないので、景観に対する意識が低い。洗練された美意識はあるのですから、もっと意識的に考える国になってくれればと……。

軽井沢を舞台にしたのは『本格小説』に続いて2度目です。東京では「方丈庵」や「蓬生の宿」などという発想は出にくかったと思います。自然が周りにあると時空を越えて遊べます。それに、日本文学では四季がとても大切でしょう。美しい雪の光景を描くために、真冬に追分に行ったり。もう寒くて寒くて(笑)。

ですが軽井沢にこだわったおかげで、過去多くの作家が小説の舞台に使ってきた土地の「文学的地霊」に寄りかかりながら書けた感じもあります。知っている土地しか書けないというのもありますが。(笑)

実際に追分に別荘を持っているんです。はじっこなら安いよと友人に教えられて(笑)。もう30年以上になります。ちょうどプリンストン大学で教えていた時で、アインシュタインが在籍した研究所が近くにあり、そこの敷地は贅沢な自然にあふれていました。しょっちゅう散歩していたので、そんな自然が日本でもほしかったんです。

 

『大使とその妻』(上下巻/著:水村美苗/新潮社)