天才子役と作曲家が出会って
結婚生活は66年になります。出会った頃、彼女はまだ10代。子役から出発したので、その段階で、もうかなりの芸歴を積んでいました。
僕は上野の音楽学校に行くつもりでしたが、戦後の旧制と新制の切り替えの混乱もあり、国立(くにたち)の音楽学校に入りました。そして学生時代から、作詞作曲家で構成作家でもあった三木鶏郎(とりろう)さんのところで仕事をするようになったのです。永六輔さんは僕より前から出入りして、歌詞を書いたりラジオ番組の構成を手伝ったりしていました。
三木鶏郎さんはラジオ番組も作っていたし、戦後はメディアの寵児だった。おかげで僕はエノケンこと榎本健一さんの歌のレッスンも担当させてもらったり、いろいろな歌手のために曲も作りました。
メイコも三木鶏郎さんのところに出入りしており、ある時、僕が彼女に曲を作ることになって。ピアノの前に座り、音域を知るために低音から高音まで出してもらおうと、「下はどのくらいから出るかな?」と言ってピアノのキーを叩いたけれど、うんともすんとも言わない。振り返ったら、ベロを出していた(笑)。それが僕らの出会いでした。
どうやら永ちゃんはメイコのことを好きだったらしく、彼女の実家の中村家にも時々遊びに行っていたようです。でも彼女は僕のことが気になっていたみたいで、けっこう積極的でした。
後になって永ちゃんに、「お前、歌うみたいにしゃべるから、彼女は何を言ってるのかわからなかったんだよ」と言っておいた。彼とはずっと仲良くしていたので、亡くなった時はつらかったですね。