そこから私は警察の方とビデオ電話でやり取りをし、通帳といった大事なものの場所を聞かれました。自宅でひとりで亡くなった場合、不審死でないかを家族が確認してからでないと、遺体を警察に運べないのだとか。私はロンドンにいるうえ、ひとりっ子で頼める家族がほかにいないのでいとこを頼り、葬儀社の手配なども進めてもらうことにしました。
私が羽田空港に着いたのは、25日の午前7時。その足で警察署に向かい、母と対面しました。推定される死因は脳出血で、ベッドに倒れ込むように亡くなっていたそうです。22日の夜にXで「おやすみなさいませ」とつぶやいていたので、亡くなったのは23日の未明ではないか、ということでした。
闘病していた方のように時間をかけたお別れができなかったこともあり、母が亡くなったという実感はなかなか湧きませんでした。91歳ですから、いつ何が起きてもおかしくない年齢だと思ってはいましたが、姿勢もよく、体力的にも精神的にも実年齢より10歳以上若い印象があったので、まだまだ元気でいてくれると思っていたんですよね。母自身、「100歳まで生きる」と言っていました。
一方で、エンディングノートのほか遺影も用意してあり、戸籍謄本などの必要書類を取り寄せて、すべてひとつのファイルにまとめておいてくれました。母はそういうきっちりとした性格で、ノートには納骨の場所も書いてありました。
クリスチャンなので、この教会で葬儀をしてほしい、という希望は直接聞いていましたが、自分で葬儀の見積もりまで取っていて。ただ数年前のものだったので、金額はその通りにはいきませんでしたが。(笑)
インターンシップ中の私の長男の休みにあわせて、葬儀は8月2日にとりおこないました。暑い盛りだったこともあり、参列くださる方には事前に、「普段の恰好でけっこうです。ポロシャツでもアロハでも、お好きな色の服でいらしてください」とご案内しました。
母の死を悼む、悲しい雰囲気の葬儀にはしたくなかった。91年の人生を祝い、讃えるような、そんな式にしてあげたいと思いました。
長い間、団地やご近所で親しくしてくださった皆さん、80代から始めた太極拳や麻雀のお仲間、教会関係の方、本を出してくださった出版社の方、ユーチューブチャンネルでお世話になった広告代理店の方など、大勢が参列してくださって。
母の好きな紫色の花で彩られた祭壇は美しく、皆さん、こんな明るい葬儀ははじめてだって。娘として嬉しく思いました。