母の人生を讃える葬儀にしたかった
私が母の最後の声を聞いたのは、亡くなる前日の7月22日でした。私は20代からイギリス・ロンドンで暮らしていることもあり、安否確認もかねて、母とはほぼ毎日LINEで電話をしていたんです。
日本時間の夜8時ごろ――ロンドンではお昼だったでしょうか。母はX(旧ツイッター)に、その日の食事や晩酌の様子を撮ってアップしていることもあり、「トマトを添えて彩りをよくしたり、より料理に合う食器を考えたりしている」といったことを話していました。写真の見栄えだけでなく、彩りのよい食事は健康にもいいし、美的センスが養われて嬉しい、と。
「ただね、食器はもう増やしたくないの」
「でもこんなにフォロワーさんがいるんだし、ちょっとぐらい買い足してもいいんじゃない?」
電話で話す母の声はいつも通り明るく、元気そのもので、これが最後の会話になるとは思ってもいませんでした。
翌日の夜もいつものように電話をかけましたが、応答なし。でもタイミングが合わなければ出ないこともあるので、気に留めていませんでした。するとしばらくして、母の住む部屋のちょうど真向かいの建物に住む太極拳友達の方から電話がかかってきました。
「毎日のようにXを更新する博子さんが、今日は一度もアップしていないの。電話をかけても出ないし、この時間になっても部屋に明かりがついていないのはおかしいと思うので、行ってみてもいいかしら」
私も不安になり、「ぜひ、お願いします」と答えました。その方が母の部屋を訪ねてチャイムを鳴らしたのですが、応答がなかったので、今度は「上階の方に鍵を開けてもらってもいいか」と電話がありました。母は、仲のいい上階の方に、いざというときのために鍵を預けていたからです。
おふたりが鍵を開けたところ、中からチェーンがかかっていたので、警察立ち会いのもと入室していただき、死亡が確認されました。