吉原にとっても重要だった『吉原細見』
吉原のほうも、自分たちの宣伝をして欲しいと思っていました。幕府が公認している歓楽街だといっても、そこに胡坐をかいて、ただ座っているだけではお客さんは集まってきません。
こんな素敵な遊女がいるよ。こんな面白い遊びがあるよ。この日にはお祭りをやります。値段はこのくらいです。そういった情報は、ある程度出していく必要があったのです。この情報がよくなければ、お客さんは吉原に興味を持ってくれません。
『吉原細見』は、お客さん側にとっては、唯一のガイドブックであり、吉原側にとっては、大事な宣伝媒体だったというわけです。
吉原は日本で一番といえる観光地です。書店を始めてすぐの重三郎がそのガイドブックの編集者に抜擢されるなんて、すごいですよね。ずば抜けた才能を持っていたことが、このことからだけでもうかがえます。
『吉原細見』に書かれていたのは、遊郭のマーク、屋号、店主の名前、遊女のランク、遊女の名前などです。実物が国立国会図書館に保存されていますが、それを見ると、重三郎がいかに、丁寧に情報を詰め込んでいたのかがよく分かります。とにかく、細かい。きっと、できるだけたくさんのことを伝えてあげようと思ったのでしょうね。
1783年刊行のものから、巻末に色々な広告が載るようになりました。これは、蔦屋重三郎が始めたことです。