耕書堂の経営を支えた貸本業

この頃の貸本業は、借りにくる人をお店で待ち続けるのではなく、借りてくれそうな人がいるところへ、書店員が本を持って行くというやりかたをとっていました。重三郎も、本を背負い、お客さんのところへ通ったはずです。ここでポイントとなってくるのが、重三郎の商売範囲、ナワバリが吉原だったということです。

位の高い遊女はとても教養があったので、本を読んで色々勉強していました。そんなお姉さんたちのところへ、頻繁に貸本を持って行くわけですから、重三郎は自然と吉原に顔が利くようになります。

内情も知ることになるし、使用人の人たちとも仲良くなっていきます。そして、何より、吉原に通う有名な作家たちとコネを持つことができたのです。

「先生。私は、今度こんな本をつくりたいんですよ」
「次はうちでもかいて下さいよ」

そんな会話があったかも知れません。

コネというのは、そのまま保障になります。トレンドの発信地である吉原で生まれ育ち、自分の一族も働いている。そして、そこで書店の実店舗をかまえている。そんな出版業者って、信用できます。作家の先生たちが、蔦屋重三郎と仕事をするようになったのは、必然なのです。

貸本業は、出版社耕書堂の経営を支えるために、なくてはならない部門だったといえます。

※本稿は、『べらぼうに面白い 蔦屋重三郎』(興陽館)の一部を再編集したものです。


べらぼうに面白い 蔦屋重三郎』(著:ツタヤピロコ/興陽館)

辣腕編集者であり天才出版人、蔦屋重三郎。

江戸・吉原に生まれた一人の男はいかに生きて、出版業界の礎を築きあげていったのか。

生きざま、ビジネス、才覚、そのすべてがわかる本。