昼食会、そして北野天満宮へ

それからツアー一行は、京都御所至近の「京都ガーデンパレス」にて昼食を。

昼食後には、本郷先生を中心にしての質疑応答タイムが用意されましたが、そこでの質問の多くが「平安貴族の男女間のやりとり」だったのも、やはり同日に最終回放映を迎えた『光る君へ』の盛り上がりを象徴しているようでした。

(写真:婦人公論.jp編集部)

昼食会場を出ると、続いて菅原道真をまつった北野天満宮へ向かいます。道真と言えば『応天の門』の主人公ということで、ここも平安ツアーには欠かせません。

史実として、右大臣となった道真は、昌泰4年(901年)に左大臣・藤原時平の讒言にあって大宰権帥に降格。大宰府に左遷されたのち、延喜3年(903年)に無念の死を遂げます。

すると時平が延喜9年(909年)4月に亡くなったり、朝廷で落雷などの災害が相次いだりしたため「道真の怨霊による祟り」との噂が広まります。

それで朝廷は、道真が没して20年目となる延喜23年(923年)に道真の左遷を撤回。右大臣に官位を復し、正二位を贈ります。加えて複数の地域で「北野に自分を祀る社を立てるように」との託宣があったため、この地に社殿を造営したとのこと。

北野天満宮(写真:婦人公論.jp編集部)

ちなみに”学問の神様”道真ですが、自身の成績はソコソコだったそう。国家試験「方略試」もギリギリ合格だった、といった話を先生から聞きながら神社内を散策しました。

そんな解説を聞きながら「それでもしっかり合格するところが、学問の神様として崇拝される理由なのでは」なんてことを、普段からギリギリで生きている私などは考えてしまいますが、バスは続いて清凉寺へ。