「とにかく娘が大好きで、比較的家で仕事をすることも多くなっていた僕に娘を取られたくないという気持ちもあったのでしょう。娘たちに対しては、本当に一生懸命でしたね」

義父に代わって保護者役に

それからしばらくたって、徐々に二人の距離が縮まっていき、結婚することに。彼女が23歳、僕が25歳の時です。仲人は徳川夢声さんにお願いしました。

結婚する前に、向こうの両親からこう言われました。

メイコは一人っ子で、東京にまったく親類もいない。将来お墓を託せるのはあなたしかいないから、養子に来てくれるか、と。でもわが家も、二人の兄は特攻隊として出征して戦死し、男子で生き残ったのは僕だけだったので、養子の話はお断りしました。

親父さんは、こうも言いました。娘は小学校もろくに行っていないし、教育は全部、自分がした。たとえば偉い政治家と対談する時は、何を質問したらいいかを考えて資料を用意するのも自分だった。「結婚したら、それを君がやってくれないと、メイコは困るよ」。

彼女は、自分の父親が作ってくれた中村メイコ像を一生懸命守ろうとしていたようでした。そして僕も、それに協力したつもりです。何かにつけ「これ、どういうこと?」とよく聞かれ、僕なりに説明するようにしていました。本当に何から何まで頼ってくれ、その素直さが、とてもかわいかったんです。

それにしても、本当にすごい人だと思います。子役から始めて、時の総理大臣の田中角栄さんとテレビで互角に話したりしていたんですから。そして人間的にすごく優しいんです。

地方ロケの場合を除いて、どんなに仕事が忙しくても、夜は家に戻って夕食を作っていました。そのエネルギーには頭が下がります。

ただ、忙しいと手を抜かざるをえないので、鮭の塩焼き1切れでご飯3杯食べてくれ、みたいな時もありましたけどね(笑)。だからキムチを常備して、こっそり出してきて食べたりしていました。