師長の一言から気が付いたこと

ある日の夕方。器械組みが終わって、これから帰ろうとしたとき、廊下で千里は師長から話しかけられた。二人きりで周りには誰もいない。

「千里さん、あなたを旧病院のオペ室で1年くらい働かせておけばよかったわ」

唐突だった。千里は何を言われているのか分からなかった。

「そのあとで自治医大に研修に出せばよかった」

「……」

これは遥香先輩と比べられている。愕然とした。そんなに自分は遥香先輩よりも劣っているのか。

『看護師の正体-医師に怒り、患者に尽くし、同僚と張り合う』(著:松永正訓/中央公論新社)

千里はアパートに帰って考え込んだ。自分はけっこうできていると思っていた。思い上がりだったのだろうか。自分の何が足りないんだろう。一体何をすればいいのかな。オペ室の仕事は全部きちんとこなしているはずなのに。

(もしかして、自分は患者さんのことをよく分かっていないのかもしれない)

千里はふとそう考えた。新人のとき、3南病棟で、自分はわけも分からず患者にブロンプトン・カクテルを飲ませていた。あのとき自分は患者が余命幾ばくもない末期がんだと知らなかった。それと同じことかもしれない。

手術は何度も見たけど、それは自分の目で学んだものだ。ちゃんと系統的に外科学を勉強したわけではない。言ってみれば、先輩から後輩の自分へ、口頭で教えられただけかもしれない。自分に決定的に足りないのは、きちんとした勉強だ。